寺宝
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狩野栄信筆 掛け軸(江戸時代)
信濃国松代藩初代藩主真田伊豆守信之(信幸)公
公卿装束自画像
1566(永禄9)年に昌幸の長男として生まれ、早くから父と共に上信両国に出陣していました。1590(天正18)年から沼田城主として11年間、 1600(慶長5)年から上田城主として23年間、1622(元和8)年から松代藩主として35年間務め、近世大名としての基礎を固めました。
信之は、慶長5年の関ヶ原の戦いにおいて、父・昌幸と弟・信繁(幸村)と袂(たもと)を分って徳川方にくみし、以降徳川幕府の大名として沼田藩3万石および松代藩10万石の藩主の地位を築きました。1656(明暦2)年に次男・信政に家督を譲り、松代城下郊外の柴に隠居、1658(万治元)年93歳で没しました。
妻は本多忠勝の娘で徳川家康の養女であった大蓮院(小松殿)です。
信之の墓と御霊屋が、松代町長国寺と隠居所であった松代町柴・大鋒寺にあり、長国寺の御霊屋は重要文化財に指定されています。また、松代町白鳥神社に松代藩の藩祖・武靖大明神として祀られています。
現・名誉住職は眞田信繁(幸村)=仙台眞田家の末裔そして現・名誉住職の妻、見は松代藩 第三代藩主眞田幸道の直系です。家紋である眞田六連銭(眞田六文銭)を寺紋として、掲げております。
※常時拝観は致しておりません。
軍神毘沙門天 軍配団扇(戦国時代)
上杉謙信公所用
川中島の合戦に於いて実際に謙信公が指揮をした軍配として伝わっています。
※常時拝観は致しておりません。