米子滝山不動寺
当寺より十二キロ奥・霊峰四阿山北西(長野県須坂市米子)に日本屈指の二筋の直瀑・国指定名勝として名高い米子瀑布群(米子大瀑布)にある不動滝(八九メートル)権現滝(八二メートル)があり、滝を背に当寺開山の地奥之院本堂・開山堂(飛び地境内)があります。滝自体が御神体であり、夏には滝に打たれる白衣の行者の姿も見られます。古くから「米子のお不動さん」と呼ばれ、家内安全・無病息災・五穀豊穣・厄除け・商売繁昌・病気平癒など、現世利益を加持祈祷する宗旨宗派不問寺院です。
いまもなお全国よりたくさんの方から厚い信仰を集めています。
当寺の本尊である不動尊は、千葉の成田山不動尊、新潟の菅谷不動尊と共に日本三大(三体)の一つに数えられる由緒あるものです。本尊不動明王は、等身大の立像で、弘法大師(空海)が自ら一刀三礼(ひと彫りごとに三度礼拝する)の祈をこめて敬刻開眼された欅の一木造りの御尊像です。また真言八祖の一人・不空三蔵が中国唐代における安史の乱(安禄山の乱)の際に長安の大興善寺に住して灌頂の壇を築き、調伏の修法を行なった忿怒尊を手本として弘法大師(空海)が彫んだ不動明王であり、千年以上もの間には、ご本尊不動明王のご加護を頼り第五十二代嵯峨天皇さまや河内源氏の流れを汲む名門御家人の出身足利宗家(のちに室町幕府樹立・征夷大将軍輩出)、そして関東管領上杉弾正少弼謙信公に大変厚く信仰されて、後に人々の安心を得る心の拠り所となった、ご本尊不動明王です。
※像高:百六十二センチ 重量:四七・五キロ。
米子瀧山不動尊信仰は、鎌倉時代吾妻鏡によれば奈良時代養老二年に泰澄大師一番弟子浄定が信濃国四阿山に白山大権現を祀り白山信仰によって発生し、また滝の縁である熊野信仰と結束して滝参りなども盛んでした。
安土桃山時代〜江戸時代初期、当寺奥之院の対岸にある奇妙(帰命)山平における天台宗の僧・
慈眼大師南光坊天海大僧正木食戒の一番弟子である弾誓(木喰戒とは、火食・肉食を避け、木の実・草のみを食べる修行)の弟子『木食僧』但唱上人(摂津国[現在の兵庫県])出身や、但唱上人の弟子の閑昌上人の念仏信仰と深く関わっています。