二つの不動尊
信仰の場
信仰の場
米子不動尊と大谷不動尊の相違
長野県須坂市には「米子不動尊」と「大谷不動尊」という二つの不動尊があります。一見すると似ているようですが、それぞれの歴史や背景には大きな違いがあります。
米子不動尊は、弘法大師(空海)が一刀三礼(一彫りごとに三度礼拝する作法)を込めて刻んだと伝えられる不動明王が本尊です。この像は後に足利宗家の守り仏となり、第14代将軍・足利義輝が上杉謙信に譲渡したことでも知られています。謙信は川中島第四次合戦でこの不動明王を陣中に祀り、戦勝祈願を行いました。
米子不動尊の特徴的な点は、現在も日本の百名爆・国指定名勝に選ばれている米子大瀑布(米子瀑布群)に位置していることです。本尊は須坂市指定の有形文化財で、中央工房(京都)による見事な作りが評価されています。その美術的価値は、文化財研究者の金原先生からも「日本の不動明王像の中でも傑作」と称賛されました。
歴史を辿ると、この地はもともと奈良時代に大日如来を祀る場所として始まりましたが、戦国時代に上杉謙信が現在の本尊である不動明王を祀り、霊場としての地位を確立しました。現在でもその格式と長い歴史から、多くの参拝者が訪れる全国的な霊場として知られています。
一方、大谷不動尊は米子不動尊から数キロ南に位置し、峰の原を背にした二つの滝のそばにあります。その起源は米子不動尊より数百年後とされ、明治時代には周辺の村々が協力して護持していました。現在では、須坂市仁礼町・八丁町・井上町の3カ村で管理されています。
大谷不動尊の本尊も不動明王ですが、こちらは地方の職人による作で、地域密着型の信仰の場として親しまれています。米子不動尊のような全国的な知名度はありませんが、地域の人々に深く愛され、守られてきた霊場です。
どちらの不動明王も、参拝者にご利益をもたらす尊い存在です。しかし、米子不動尊は全国的な霊場としての格式を持ち、大谷不動尊は地域密着型の信仰の場という違いがあります。
「どちらが上」という優劣をつけることではなく、両不動尊の歴史や役割を正しく理解し、互いの存在を尊重することが大切です。
米子不動尊と大谷不動尊は、異なる歴史と役割を持ちながらも、それぞれの信仰を守り続けています。その違いを感じながら、それぞれのご利益を心に刻んでください。そして、その尊い信仰を後世に伝えていきましょう。